
生まれ変わったレンタルオフィス 大阪
エアーガールの初乗務は四月一日で、本山英子さんが乗客三人と搭乗した。
東京航空輸送社の東京~清水線で、機体は愛知AB-135水上機たった。
客席が六席あったので、Wさん、Kさんも同乗していた。
東京・大井町の鈴ヶ森海岸にあった水上飛行場を出発する際の、Hさんの第一声は「ただいま離水です」。
ちなみに機内サービスは、ビスケットとサンドイッチ、紅茶だったという。
シンボルだった時代 一九四〇年代に入ると、スチュワーデス(エアーホステスとも呼ばれた)は、女性たちにとって魅力的な職業になった。
また特にアメリカの大衆は、彼女たちが放つオーラの虜にもなった。
スチュワーデス黄金時代の到来である。
一九四〇年にはD航空が続き、四一年にはコンチネンタル航空がエアーホステスの名で搭乗させた。
スチュワードの牙城だったパンアメリカン航空も、四四年にはついにスチユワーデスを採用、セブンーラッキー・スチュワーデスと呼んだ。
時あたかも第二次世界大戦の真っ只中。
その影響はスチュワーデスの採用条件から、看護婦資格が消えたことに表れている。
戦争のために看護婦の数が不足したためだ。
一九四〇年には早くもアメリカン航空が看護婦資格を廃止し、各社これに続いた。
それは、ますます普通の女性たちがスチュワーデスという職業を目指す原因ともなった。
また一方で、各エアラインは機材とクルーを、戦時輸送のため国に提供しなければならなくなり、スチュワーデスの乗務は国内線のみに制限された。
国際線の戦時輸送は、男性クルーのパーサーだけになったのである。
このことが、それから二〇年以上にわたって、キャビンークルーがスチュワーデスにほぼ独占される要因となった(男性は、国内線のサービス・国際線のパーサーなど一部の職種に限定される)。
キャビンークルーといえばスチュワーデス、というスタンダードは、一九六〇年代末まで続いた。
戦後の一九五〇年代と六〇年代は、四発大型プロペラ旅客機と、それに続く初期ジェット旅客機の時代だ。
それはスチュワーデスが、エアラインのアイコン(偶像・象徴)となった時代でもあった。
機内サービス=スチュワーデスだったのだ。
シンボルあるいはフアッションーイコンとしてのスチュワーデスのイメージが顕著になったのは一九六〇年代だ。
ミニスカートやホットパンツのユニフォーム、性差別の広告や宣伝コピーが氾濫した。
パーサーの名でスチュワードもいるにはいたが、主役はなんといっても「大空のグラマー(性的魅力)」といわれたスチュワーデスたちだったのだ。
『コーヒー、紅茶、それとも私にしますか?』(Coffee Tea or Me ?)という刺激的なタイトルの本が、二〇〇万部を超す大ベストセラーになったのも、この時代である。
これは二人のスチュワーデスが書いた手記で、彼女たちの生活や勤務の内幕、キャビンでの出来事、乗客の狼籍などが、赤裸々に暴露された(初版は一九六七年)。
乗客を喜ばすためなら、あらゆることが行われた時代といっていいだろう。
もっともアメリカでは、すでに一九五〇年代から、スチュワーデスの採用試験の面接で、スカートを上げて脚を見せるのは普通のことだったそうだ。
この傾向は七〇年代初めまで続いた。
ラヴーマシーンのホットパンツ ー九六〇年代から七〇年代にかけての創造性の時代、それはセックスーテーマがエアラインに入り込んだ時代でもあった。
乗客のほとんどを占める男性客獲得のため、最前線に立たされたのがスチュワーデスだったのである。
スチュワーデスがシンボルであり、そのファッションが機内サービスで最高のエンターテインメントだった時代、当時キャビンの通路は、まるでファッションショーの張り出しステージを思わせるほどだった。
そんななか、最も話題になったのが新興のサウスウェスト航空である。
一九六七年にエアーサウスウェストの名でテキサス州ダラスに設立された同社は、七一年、ボーイング737を使って、全便モノクラス、ノーフリル(食事サービスなし)、他社のコーチ(エコノミー)料金よりも二〇パーセントも安い低運賃で、業界に殴り込みをかけた。
当初はダラス~ヒューストン~サンアントニオのテキサスートライアングルだけをリンクする、テキサスのローカルーエアラインだったが、徹底したコストダウン、話題性、機材運用の効率化で躍進し、七八年の規制緩和、エアラインーデレギュレーション法の下、急成長を遂げた。
以降、乗客に人気の高いネーションワイドのエアラインとなって今に至っている。
現在もノーフリルを貫き、サービスするのはピーナッツとレーズン、クラッカーのみ。
そこでピーナッツーエアラインの俗称もある。
コストダウンと効率化の方針は社員のすみずみにまで徹底しており、着陸前にキャビンークルーがビニール袋を手にキャビンを回りゴミを集め、さらに乗客が降りた後に手早く全シートをチェックし、床やシートポケットのゴミを集め清掃を終える、などほんの一例だ。
これによって機内清掃外注のコストを省き、なおかつ次の出発までの機体の地上滞在時間を短縮できる。
また身の丈にあった運航をポリシーとし、どんなに業績がよくても無理な路線拡張などはせず(国際線など無視)、整備・運航の効率化のため機材はB737に統一、低料金サービスのポリシーを貫き通している。
そんな今や優等生のサウスウェストだが、そのデビュー当時は、大胆な戦略で話題を集めた。
一九七三年に登場した、赤いホットパンツにオレンジのホットシャツ(どちらもボディコンジャズのニット)、白いレザーのキンキー・ブーツというユニフォームがそれだった。
その前にサファリジャケットにショートパンツのスタイルも登場していたが、いずれも大胆に太股を晒すファッションだった。
このスタイルで、乗客にきわめて親密に接すれば、人気が上がるのは当然。
そのため採用試験では、必ずホットパンツを穿かされ、面接官からその脚線美を吟味された。
とにかくサウスウェストのホットパンツは、スチュワーデスーファッションに一時代を築いたことは間違いない。
ベースがダラスのラヴ空港だったこともあって、サウスウェストのテーマはラヴ(愛)たった。
機材のB737をラヴーバードと命名した。
これは一九六九年の記録的なベストセラー小説、ジャクリーヌースーザンの『ザーラヴーマシーン』の影響だろうと想像されるが、飲み物をラヴーポーション、ナッツをラヴーバイト、飲み物のクーポンをラヴースタンプと呼ぶなど、ラヴを強調していたのは確かだ。
業界の奇才ハーブーケレハー社長に率いられたサウスウェストのラヴは今も健在で、ロゴマークにはハートを使っているし、ラヴーエアラインズと自称し、ニューヨーク証券取引所における会社コードもラヴだ。
ただし、こちらのスペルはLOVEではなくてLUVだが。
社員にとっても働きやすい職場のようで、かつてホットパンツにキンキー・ブーツでニッコリしていたスチュワーデスの何人かは、今も現役で(少なくとも一九九〇年代までは)飛んでいる! 現在はゆったりしたショートパンツに、ポロシャツというユニフォームだが。
ちなみに、ケレハー社長のモットーは、「社員を愛し、仕事を楽しませよ!」だという。
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